荻野吟子女史の略年表 |
1851(嘉永4) | 3月3日 現埼玉県妻沼町俵瀬で名主荻野綾三郎の五女として誕生 |
1868(慶応4) | 埼玉県熊谷市名主稲村貫一郎に嫁ぐ 18歳 |
1870(明治3) | 病気、離婚 順天堂病院に入院 |
1871(明治4) | 退院実家で静養。女医志望決意 |
1873(明治6) | 上京 井上塾に入門 23歳 |
1874(明治7) | 甲府 内藤塾に助教として招かれる |
1875(明治8) | 東京女子師範学校に入学 |
1879(明治12) | 同校卒業 私立医学校「好寿院」に入学 |
1882(明治15) | 好寿院を卒業 東京府へ開業医受験願2回提出 却下。埼玉県へ受験願提出1回 いずれも却下 |
1884(明治17) | 衛生局長に面会。医術開業前期試験に合格 この年、京橋新富座のキリスト教大演説会を聞き強い感銘を受ける |
1885(明治18) | 医術開業後期試験に合格。女医第一号となる 産婦人科・荻野医院開業 35歳 |
1886(明治19) | キリスト教に入信。本郷教会で海老名弾正から洗礼を受ける キリスト教婦人矯風会に参加、風俗部長となる |
1887〜1888 (明治20〜21) |
大日本婦人衛生会幹事 |
1889(明治22) | 明治女学校講師・校医となる |
1890(明治23) | 志方之善と結婚 吟子40歳 之善26歳 婦人矯風会、自由党大成会に婦人の議会傍聴禁止撤回を陳情 |
1891(明治24) | 之善 理想郷を目指し渡道 |
1892(明治25) | 明治女学校舎監 |
1894(明治27) | 吟子 之善の渡道要請に即応できるよう明治女学校他諸職を辞任 6月渡道 インマヌエルに居住 |
1896(明治29) | 国縫に転居 本籍を移し半年間居住(夫鉱山開設のため) |
1897(明治30) | 吟子 瀬棚に転居 「荻野医院」を開業 淑徳婦人会を結成し会長となる。日曜学校を創設する |
1898(明治31) | 之善 瀬棚に転居 |
1903(明治36) | 之善 同志社に再入学。吟子 札幌に医院を開業 4月17日、吟子病気となり、熊谷の姉の実家で転地療養 |
1904(明治37) | 之善 同志社を卒業。 北海道浦河教会の牧師となる |
1905(明治38) | 4月 浦河教会の牧師を辞し、瀬棚に帰る 7月 吟子 瀬棚に帰る 9月23日 之善 病死 |
1908(明治41) | 12月 吟子帰京 (58歳) 本所区新小梅町に開業 |
1913(大正2) | 3月23日 吟子 肋膜炎発病、病床に臥す 6月23日 永 眠 |
1936(昭和11) | 日本女医公認50周年祭、荻野吟子女史慰霊祭挙行 |
1967(昭和42) | 開業の地 瀬棚町に、女史の顕彰碑建設 |
1968(昭和43) | 誕生の地 妻沼町に、女史の顕彰碑建設 |
1976(昭和51) | 瀬棚町郷土資料館に荻野吟子女史遺品展示コーナーを設置し開館 |
1984(昭和59) | 公認女医誕生百年記念式が東京で開催され、荻野吟子賞が設けられる(日本女医会) |