北海道瀬棚町


■面積/125.62Ku
■人口/2,846人
■世帯/1,153世帯
     (平成13年11月末現在)


町花 町木 町鳥
町花/ハマナス 町木/イタヤカエデ 町鳥/カモメ

町名の由来

瀬棚とは、アイヌ語「セタルペシュペナイ」(犬の川)が略されて「セタナイ」(犬の沢)となり、それが転訛(てんか)したものである。


地勢

地形は平坦部が少なく、海岸に近づくにしたがって起伏する段丘となり、大半が草地となっている。また、海岸線は変化に富んだ奇岩、絶壁が多く、狩場茂津多道立自然公園に指定された景勝地である。北東部は標高1,520mの狩場山とこれに連なる山岳地帯で、ここに源をもつ5河川が日本海に注ぎ、西部一帯の日本海沿岸は地方港湾瀬棚港をはじめ沿岸漁業基地として5漁港があり、小樽札幌方面への国道改良も完成した。
 
瀬棚町Home Page [GINS] について

明治の昔、夢を追って北海道に渡った人がいた…


瀬棚町ホームページ 【GINS】をご覧くださいましてありがとうございます。

このたびインターネット上で町の紹介を行うにあたり、私たちは、さまざまな思いを込めてこのホームページに【GINS】(ギンズ)という愛称を与えました。
 
【GINS】とは、いうまでもなく、医師免許を取得した日本で最初の女性、荻野吟子(おぎのぎんこ)氏にちなんだものです。氏は明治27年、東京での開業医の生活を捨て、理想郷建設の夢を追って14歳年下の夫、志方之善(しかたゆきよし・当時26歳)とともにここ瀬棚の地を目指しました。

やがて夫に若くして先立たれ、北辺の地にただ一人残されたあとも彼女はこの町で医師として、教育者として、また、女性の地位向上のための活動家として止むことなく活躍を続けたのでした。伝えられる彼女の人となりは、気丈さと知性を備えた美貌のロマンチストであった、といいます。

 それから約百年。かれらの生きた時代は遠く過ぎ去り、時代の流れの中、この町も数多くの変容を遂げてまいりました。彼らの末裔(まつえい)は、すでにこの町を去り、思い出を語る者も次第に少なくなりました。しかし、狩場の峰と三杉の岩は今も変らずにこの町を見守り、清らかな水と澄明(ちょうめい)な海は豊かな恵みをもたらしています。厳しい自然に立ち向かい、気高く、清らかに生きた彼らの面影をとどめるかのように・・・

ここにご紹介するのは、今の瀬棚の姿です。この画面を通して、私たちは伝えたいのです・・・「私達は元気です。このまちを愛しています」と…

今を生きるあなたと、かってここに生きたすべての人々に…


町章の由来

漁業とともに拓け行く瀬棚町の限りない発展と希望を表現したもので、海の幸に恵まれた日本海の波頭と、きびしい風雪に耐え抜いた先人の開拓者精神と町民共同発展を三本杉岩に表徴したものである。



町章