会津白虎隊玉川遥拝所前において14年ぶりの献吟・剣舞

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 5月20日(日)玉川公園内にある会津白虎隊玉川遥拝所前において、函館の詩吟朗詠錦城会道南本部(竹崎錦里本部長)55名によって献吟・剣舞が奉納されました。同本部が行なうのは14年ぶりで、今回は同青年部から声があがり実施することになったそうです。遥拝所参拝のあと白虎隊の詩吟を献吟、最後に詩吟に合せて剣舞が奉納されました。


▲剣舞の奉納

~会津白虎隊玉川遥拝所~
 会津藩士であった丹羽五郎は、当時14歳のため白虎隊としての年齢に達せず入隊できなかったが、戊辰戦争の慶応4年(1868)8月23日、戦いに敗れた16歳~18歳の少年20人が飯盛山にたどり着いたものの鶴ヶ城の天守閣が焼けるのをみて、城に向かい決別の礼をして自刃するも奇跡的にただ一人助かった。丹羽五郎は、自刃した「有賀織之助」「永瀬勇二」の従兄弟であったこともあり、大正13年(1924)7月、郷里の白虎隊魂を子々孫々に伝えるべく会津白虎隊玉川遥拝所を建立。公園の名である玉川とは、福島県内を流れる清流の名から取ったものである。