円空仏堂

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 美濃の僧 円空上人は、寛文6年(1666年)太田山に参籠し、行のかたわら太田山の岩窟内で、木を使い数多くの仏像を彫りました。
 また、甲斐の国の僧、木喰上人も安永7年(1778年)この地を訪れて、円空仏の宗教的、かつ芸術的崇高さに感動し、自らも仏像を作ったといわれています。
 二人の僧が作った数多くの仏像は、その後、火災等により 焼失・紛失してしまいましたが、円空ゆかりの地、岐阜県丹生川村の円刀会がせたな町大成区の杉材を使って復元したものが太田神社拝殿の近く、円空仏保管施設に3体展示されています。

What's 円空
 円空は美濃国竹ヶ鼻の生まれといわれ、臨済宗の僧侶で、好んで岩屋に住み、鉈一挺を持って仏像を刻んでいました。
 北海道から近畿地方にいたる広い地域を遊行、おびただしい仏像を刻み遺しました。
 現在までに四千五百以上の円空仏が発見されていますが、円空の刻んだ仏像は十万にものぼると言われています。