太田神社拝殿

 断崖絶壁にそびえる太田山(485m)は道南五大霊場の一つで、日本海を真下に厳然と威厳を保つかのようにそびえ立っています。ここに北海道最古の

山岳霊場、太田神社があります。創立は、嘉吉年間(1441〜1443年)といわれ、亨徳3年(1454年)松前藩の祖、武田信広公が太田に上陸した際に太田

大権現の尊号を賜ったと言い伝えられています。以来、航海の安全と霊神の加護として信仰されてきました。円空 菅江真澄などの高名僧、高名な旅行

家、 松浦武四郎などの探険家も訪れているほか、阿部比羅夫の伝説も伝わる所です。

本殿までの道のり
 
 
 

太田神社拝殿横の崖に、安政4年(1857年)に建設されていた北海道有数の古さを誇る灯台 定灯籠が復元されています。この場所は昔から「じょうとう

の崎」と呼ばれ、なぜこの呼称があったのか不明でしたが、地元高等学校教諭が古文書などを調べ、その存在を突き止め、定灯籠があった場所と台座、

定灯籠本体の破片を発見しました。また、台座の岩に刻まれた碑文も発見され、安芸の国の行者 政四良という人物が奉納したのであろうということも

推測できました。これらのことにより「久遠を知る会」が結成され、さらに史実を掘り起こし、この史実検証に基づいて昭和63年に復元が計画され、往時の

姿そのままに完成されました。定灯籠は高さ1.3m、幅40cmの青銅製で、淡くともる灯火は海の色、太田山とあいまって幻想的な雰囲気をかもし出してい

ます。

 
 
 
 

美濃の僧 円空上人は、寛文6年(1666年)太田山に参籠し、行のかたわら太田山の岩窟内で、木を使い数多くの仏像を彫りました。また、甲斐の国の

僧、木喰上人も安永7年(1778年)この地を訪れて、円空仏の宗教的、かつ芸術的崇高さに感動し、自らも仏像を作ったといわれています。二人の僧が

作った数多くの仏像は、その後、火災等により焼失・紛失してしまいましたが、円空ゆかりの地、岐阜県丹生川村の円刀会が大成町の杉材を使って

復元したものが太田神社拝殿の近く、円空仏保管施設に3体展示されています。

 
What's 円空

円空は美濃国竹ヶ鼻の生まれといわれ、臨済宗の僧侶で、好んで岩屋に住み、鉈一挺を持って仏像を刻んでいました。北海道から近畿地方にいたる

広い地域を遊行、おびただしい仏像を刻み遺しました。現在までに四千五百以上の円空仏が発見されていますが、円空の刻んだ仏像は十万にものぼ

ると言われています。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

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